12月も半ばで

今日は一日友達のバンドの手伝いをしていたのだが、いや、表現をする人達は形がどうであれ、素晴らしいね。
まあ、中にはチミたちいったい何をしたいの?実際見て音聴く限りじゃ音楽ではないよね、っていうしゃらくさいバンドもあるんだが(ちなみにいっとくと友達のバンドは違う、音楽をしてる)。
俺は音楽に限らず表現をするということは人の反感をかうこと、そして恥をさらすこととほぼ同義であると思ってる、しかもそれが個人的になるにしたがってね(学園祭のバンド、馬鹿にしたりしなかった?でもちょっとうらやましいとも、格好いいとも)、生きることに懸命になることも恥をさらしてるといえるわけだしね(どっかで聞いたことあんでしょ、くくく)。そういう意味では前述のしゃらくさいバンド、人によっては表現になりえてるわけだ。
つまり、表現ってなんだよ?俺わかんねえや。そういうの苦手なんだよね、書いておきながら。
ただ、一つだけ言える事があって、前述のように表現というのは恥をさらすことなので、人から好奇の目で見られる、それはそうだ、誰だって馬鹿にする。ただそういう表現のたぐいを馬鹿に、だけ、して高みに立ってる気分になってる奴、そういう奴は本当にクソの役にもたたねえクソ野郎だ。自分の中だけに閉じていってるだけだということに気づいてない(だから俺は全てを馬鹿にしてそして必ず認めたい。って、まあ、なかなかそうはいかんけどね)。で、そんなやつらに囲まれてることをしりつつ表現する方は動機は色々あれ、やりたいからやるんだ。どっちが広い視点に立ててるか、ちゃんと見えてるか明白でしょう。
で、関係ないんだけど、なんかバンドってさ一人じゃないから恥ずかしさをメンバーの分だけ等分できるのかなとか思って、いいな〜、と思ってさ(笑)ただ俺は売れる売れないとか人気が、知名度がとか、は不得意なんであくまでも趣味、娯楽でやりてえなーとね。